2013年11月12日火曜日

野宿の三段活用。

若い人たちのなかにはテント泊よりも野宿のほうが好きなひとも意外に多い。
野営と野宿は違う気がします。

野営は、野宿に較べてまだ条件がよいイメージ。
テントを張ってプライベートな環境をかなり確保できて、雨露もじゅうぶんしのげる。

野宿は、場合によっては着の身着のままで、とりあえず寝るのになんとかなるプライベートな空間を探して、あたかもそこの一部になりきってとりあえず朝を寝て待つ。
でも、なにか突発的な事態に備えて熟睡の域には達することがなかなかむずかしい、という感じでしょうか。

野宿には3つのパターンがあると思えます。

1 緊急避難的野宿。
なーんにももっていませんが、日が暮れてこれ以上の行動は危険あるいは交通機関などの制限によって無理、ってときにアタフタとその日の寝る場所を探す。

2 「まーいいや」的野宿。
そもそも行程自体がなんとなーく無理っぽいのに、突っ込んでやっぱり野宿。
でも野宿の心構えだけはなんとなーくできていたので、日暮れ前にもう「あそこに泊まろう」という目星をつけられて、トイレや水の場所、そして食糧さえも確保できている。
なかには野宿を楽しむために好き好んで選択するひともいる。

3 戦略的野宿。
軽量化のためにテントなんてもっていかない。または安く泊まることができる宿やキャンプ場がないために、旅の計画段階から野宿をできる場所を織り込んでいる。

野宿って、いまや遵法的に考えるとグレーゾーンになりました。
昔はかなり大目に見られていましたが、とくに、オウム真理教事件のあとは地方でも野宿していると通報されたりしましたし、おまわりさんの巡回が厳しくなって誰何されることも増えました。

しかし、いっぽうで辻まこと著「多摩川探検隊」に記してあるように、野宿になるかなるまいか、の子どもに対して「大したものだ」という評価が下されることもなきにしもあらず。
あのいやな事件から時間が経ち、野宿に関しては苦笑とともに大目にみていただける場合がふたたび増えてきている気がします。
野宿が大目にみられるようにするためには、とにかく野宿がひとに迷惑をかけないことに尽きます。ゴミを残したり排泄をしないことはもちろん、野宿した地が人家に近いときには周囲よりも早く起きて野宿した痕跡すら残さない気配りが大切です。
野宿においては立ち居振る舞いに対して凛とした心構えが必要で、それが自分の身の安全と将来にわたる野宿への寛大なお取り扱いにつながるのです。

自分としては、子どもたちには一度でもいいから野宿を体験してほしいと思っています。
当たり前のように蛇口からお湯が出る、あったかいお布団があることが、どんなに「ありがたい」ことか、よくわかるからです。