アコークロー@久高島

アコークローとは、沖縄の言葉で黄昏時のこと。
魔物がでる時間だといわれています。

黄昏も語源は「誰ぞ彼」、すなわち、すれ違うひとの顔を識別できないことから、たとえば旅人のように共同体に関係ない者が闇にまぎれて自分たちの生活の場に入ってくることを忌み嫌ったのです。

アコークローは「赤黒」が語源かと思ったら、「明るい暗い」が語源のようです。
そもそも、赤は明るいにつうじ、黒は暗いにつうじるので、同じかもしれません。

1999年6月、休暇で沖縄を訪ねたときに、はじめて久高島に行きました。
そのときは、島の東端のカベール岬を訪ねたいと思って、当時たぶん島唯一のレンタサイクル店で自転車を借りたのですが、ふしぎなことに同じところをぐるぐると回って、一向に進むことができずに島をあとにしたのでした。

そんなことがあって、先の沖縄でのキャンプで参加者が選んだ「行きたい場所」に斎場御嶽と並んで久高島が入っていたことには、少なからず驚きと再訪のチャンスを待ち望む気持ちを禁じ得ませんでした。

キャンプに先駆けて調べてみると、なんとこの聖地にキャンプ場があったことにも驚きました。
 あの「拒絶された」久高島から招かれているようにも思えたのです。

12年ぶりに訪れた久高島は、港周辺がフレンドリーになっていて、これまたおおいに驚きました。
先の訪問では「交通手段はあるけれど、必要ないならば部外者は来るなよ」という言外のメッセージを、何者からか、暗に受けていたように感じていたためです。

そして、はじめて「聖地」で迎えた夜は、意外なほどふつうの夜でした。
しかし、同時にそれが部外者に「フレンドリー」な港周辺の夜だからこそ、だとも気づいていました。

私たちは黄昏時、そして黄昏時からじわりとつながった夜をキャンプ場で迎えました。
しかし、フボー御嶽はじめキャンプ場周辺の聖地で、同じ時間に同じ夜が訪れているとはとても思えませんでした。

クバの葉だけがざわめく人気がない森の中には、きっと私たちがぜったいに踏み入れることができない時間が流れているはずです。

たったいま、この時にも。

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