30年ぶりの鬼怒沼湿原。

9/15夜に事務所を出て、ひさしぶりの個人山行。
行き先は、30年ぶりに再訪する鬼怒沼湿原にしました。
古い山仲間と3人連れ。

 東北道を宇都宮インターで下り、真夜中の林道をどんどん山奥へと走って、どんづまりの女夫淵(めおとぶち)温泉に着いたのは午前1時をゆうにまわっていました。

休憩所で仮眠した翌日はさわやかな晴天。
でも気温はまだ半袖でじゅうぶん。初秋というよりも晩夏という趣です。

鬼怒川源流部に沿って奥鬼怒温泉郷を越えて鬼怒沼湿原に着いたのはちょうどお昼頃。
尾瀬よりもさらに500m高い、標高2000mにある高層湿原です。
この頃になると広がっていた青空が翳り、霧雨がときどき降るようになりましたが、猫の目のようにくるくると変わる不安定さ。
霧雨があがって夏のような強い日が射したかと思うと、すぐに雲がかかってうすら寒くなる、そんな天気のなかで湿原のはずれに避難小屋を見つけました。

30年前に鬼怒沼湿原にきたのは、辻まことの足跡を辿るように尾瀬から日光へ抜ける山旅の途中で、湿原で迎えた朝は雨がそぼ降っていました。
泊まった避難小屋を出るのがいやで、なにも見えない湿原を吹きぬける雨を避けるため早く樹林帯まで下りたいと願ったものでしたが、それに較べると、この再訪はまだ恵まれています。
泊まったはずの避難小屋の印象は、記憶とだいぶ違っていました。
ブロックを積んだ壁面に窓はなく、中央に切った炉を囲むように長椅子が巡らせてありました。
建て直されたのかもしれません。
もっとオープンな小屋だったイメージがあるのですが、記憶違いの恐れがあります。
なにせ30年経つのですから。

帰路は、途中の日光沢温泉の野趣あふれる露天風呂で汗を流し、往路をそのまま戻りました。

黄昏時に奥鬼怒をあとにして、日光へとつながる人気も少ない山王林道を抜け、戦場ヶ原についたのはとっぷりと日暮れたあと。
テントを張って翌日に男体山登山を狙いましたが、夜半から天候が崩れたため翌朝は雨天のなかテントを撤収し、渡瀬を通って帰京しました。

奥鬼怒・日光方面は、その名をきいたり思い起こすと旅心が疼きます。
しかし、実際にその場に行くと、なぜか必ずアウェイ感にさいなまれます。
その場にいることが不自然というか、なにかその場にいることを認められていないというか。
「もう訪れるのはやめよう」と思いながらも、またその名を見聞きすると懲りもせずに気がそぞろになる、自分にとって奥鬼怒・日光はそんなフシギな場所です。
つぎに訪れるのはいつの日だろう。
どうか、そのときもまた、居どころがないアウェイ感を感じさせてください。