2013年2月15日金曜日

自ら死を選んだ子どもたちから学ぶべきこと。

昨日、大阪で小5の男の子が電車に飛び込んで亡くなりました。
たいへん、悼ましいことで、胸がいっぱいです。
首都圏では昨年10月、山手線で中1のお嬢さんの飛び込みがありました。

子どもの自殺そのものが大人にとっては衝撃的であるうえに、その方法がさらに衝撃を増します。

こうしたたいへん残念な事例がおきてしまう因果関係について、私には大人の自殺がとても日常的になってしまった背景があるように思えてなりません。
「生きていることは奇跡的な自然の恵みである」ことをつい忘れてしまいがちな日常ですし、ときには私たちオトナが慣れ親しんでしまった価値観が子どもたちを縛っていたり、子どもたちの選択肢をせばめているのかもしれません。

自殺者数についてデータを検索すると時事ドットコムでつぎのような資料をみつけました。
http://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_soc_tyosa-jikenjisatsu

1995年くらいから驚くべき増加をしています。
日常の生活を考えてみると……
首都圏ではこの数年、電車内であるいはホームで人身事故による時間調整を余儀なくされることが激増しており、毎日のようにどこかで人身事故によって電車が止まっています。

また、以前は「え、だれかが飛び込んだの?」という衝撃があったものの、それが「もう勘弁してよ、急いでいるのに。」という気持ちに代わり、なにがあったのだろうという気持ちに先立って自分の予定が狂うことへの対応策を講じる気持ちが先行するようになっています。
自殺が当たり前におきることでこのような不感症になってしまうことが、子どもたちにも大きな影響を与えていると考えてもおかしくないでしょう。

おとなも子どもも、いまこそ「生きていることの不思議と"ありがたさ"」を実感するような機会をもつことはたいせつ。自然のなかで遊ぶ体験でもそんな役割を十分もちます。
先の大地震で被災した東北地方の自殺者数が昨年は減ったというのは、自然災害によって実際に生を脅かされたことで「生きよう」とする意欲や本能が高まったのではないでしょうか。

大多数のひとにとって生を脅かすような食べ物、住居、衣服などの緊急な不足がない今、私たちの生を脅かす最大の要因は、知らないうちに生きる本能さえ弱まらせてしまうストレスと、生きている奇跡についての無自覚です。

ストレスにうまく対処するためには、ちいさなストレスをいくつも乗り越えて養われる経験と発想の転換だと思います。
既存の発想にがんじがらめになってしまう前に、私たち大人もより自由な発想で生活し、つね日頃「子どもたちにとって私たちオトナは身近なお手本なんだ」ということを忘れてはならないと思います。
そして、より自由な人生観で子どもたちと日々接していく必要があると考えます。

もうひとつ。
私たちオトナもまた、抱えた課題をついつい独力で解決しようとしてしまいがちですが、ひとに相談する姿を意図的に子どもたちに見せるのもいいことかもしれません。
課題の解決を独力でやってのけるのは確かにすばらしいことです。
でも、独力でやらなくてはいけない、と思ってしまうような環境があるとしたら……
それはみんなで改善したいですね。